罪を憎んで人を憎まず

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表題は、「孔叢子」と言う書物に書かれている、孔子の言葉とされることわざです。

本当に孔子が言ったかどうかははっきりしません。
「その昔、裁判をする人が罪を裁く際、罪を犯すに至ったその心を憎んでも、その人そのものは憎まなかった」
そういう意味だそうです。

さて、犯罪者が関わった作品・仕事は制限されるべきか?というピエール瀧氏の逮捕に端を発した考察が今回のテーマです。

冒頭からなんですが、長ったらしい文章になったので、最初に結論を述べると、
「制限されるべきではないが、周囲の人の感情が結果的に制限を生むことはある程度容認すべき」と言うものです。

例えば「Aの犯した犯罪行為」は処罰の対象ですが、「Aの犯罪行為以外の行為」は処罰の対象ではないでしょう。
飲酒時に自動車を運転することは罪ですが、飲酒そのものは罪でしょうか?

違法行為を行った者に、仕事の依頼を控えたいと思うクライアントの気持ちは理解できます。
特に、人気商売という側面のあるお仕事では尚更でしょう。

では、過去に携わった仕事は?
制限されるべきとして、理由は?

冒頭の、飲酒運転と飲酒の関係とあわせて考えてみるとどうでしょうか?
過去の仕事や成果物を使うことに躊躇いが出るシーンは想像できます。
個人を押し出した商売であれば、所属する会社や関係企業と結んだ契約が終了してしまうことはあるでしょう。
所属する会社や関係企業は、契約を結んだ芸能人の作品を提供することは行いますが、契約を終了した人の作品を提供する義務はありません。

ただ、過去にリリースしたり、出荷したものを回収するのはいかがなものでしょうか?
そこに瑕疵は無いのですから、どう考えても回収はやりすぎです。
売る売らないは、購入した卸や販売店の判断で決めるべきですし、回収して欲しいと彼らが言うのであれば、契約に従って決めればいいでしょう。

芸能人と言う枠組みを外して考えてみましょうか。
例えば、ある自動車会社で自動車開発に携わった方が犯罪を犯したとします。
その方が居なければ、その自動車は開発出来なかっただろう、そんな役割だったとしましょう。
その自動車は、回収されるべきでしょうか?販売中止にされるべきでしょうか?
そこまで言う人は少数派だと思います。

そう考えると、犯罪行為そのものを礼賛しなければ、また犯罪を犯すこと、犯したことを美化しなければ、過去の成果はそのまま許容されるのではないかと思うのです。

芸能人はそのキャラクターを売りにして商売をしていますから、犯罪行為そのものが美化される可能性は他の職業よりも高いとは思います。
そのため、復帰が困難であることは理解できます。

が、過去の仕事を否定することとは同列ではありません。
被害者が存在する犯罪行為で、その犯罪行為が過失によらない場合には、被害者の方々に配慮する必要はあるでしょう。
過失による場合でも、配慮する必要があるかも知れませんが、それは個々の判断です。

その成果を上げるために、他人の権利を侵した場合には別ですが、絵や音楽、はたまたその他の仕事の成果そのものには、全く罪はありません。

脊髄反射で?なんとなくの感情で、制限したくなる気持ちはわからなくもないですが、それはやり過ぎだと思うのです。

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